2015年8月29日は、中の町青年会だけを追っかけることを目標にして沖縄市に向かった。
呉屋(ごや)十字路あたりの駐車場に車を入れ、国道330を中の町方面に向けて歩いた。
すると社交街方面から、かすかにエイサーの地謡の三線の音が聞こえてきた。
そこだ!だがどこだ!早く確認できなければエイサーの道ジュネーはどっかへ移動してしまう。
音だけを頼りにするのは不安になる。音の方向を正確に把握する能力が私には備わっていないからだ。
そんな時に青年会による道案内の誘導灯の灯りを見つけると、感謝感激雨霰(あられ)の気持ちになる。
誘導灯を持っている青年がやさしく案内してくれる。そんな彼らはみんな美青年だ。少なくとも私にはそう見えるのだ。
誘導灯の案内で中の町の繁華街の奥に踏み込んだ。
出会えた!中の町青年会が夜の社交街を練り歩いている姿に。
中の町は、昭和とバブルとバブル後の記号がネオンで重なり合う町。
ネオンの点滅する飲み屋のドアの前には香水の強い香りをはなつ女性たち。
そこから二、三メートル離れた路上の角にはホストのような若い男性たちが二、三人立っている。
彼らの眼差しはエイサー青年たちにまっすぐに向かっている。エイサー青年たちと同じ年ごろだ。
市場原理の渦巻く社会で働く彼らの前を、贈与交換が息づくエイサー青年たちが練り歩く。
中の町青年会の道ジュネーは、飲み屋のエロスとエイサー青年たちのエロスがクロスオーバーしているのだ。
ゾクゾクしていた。
復活結成から四、五年の中の町青年会。何が彼らをここまで進化させているのだろうか。エイサーは謎だらけである。